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荒川 洋治

「忘れられる過去」で初めて知った荒川洋治さんによる詩の入門書。
最近、詩に興味があったのでちょうどよいタイミングでした。
詩ってなんなのだろう? どうして今、詩に惹かれるのだろう?
そんな疑問を解き明かしてくれるような本でした。

個人を表現するためと、ことばの印象を高めるための「行わけ」の話は、言われてみれば当たり前だけどなるほどと思わせられる。
多くの人に向けた説明的な表現であるがゆえに個人の感情が薄れる散文という説明もとても納得のいく話。
菊池寛は、イメージの先行する詩は科学の社会に反するとして、いずれ滅びると言い切ったという。
これもおもしろい話。詩の特質をよく伝える逸話だと思う。

西欧では、詩はホメロスの叙事詩から2700年もの歴史を持つ。
その後もゲーテ、ランボー、リルケなど歴史に名を残す詩人も多い。
人の関わった歴史には詩のほうがよく似合うような気もする。

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一生の間に、一冊の詩集を出してみたい。そんな願いをもつ人は多い。詩を書かない人でもときにそうつぶやく人がいる。
仕事もした。成功もした。いい思いもした。いっぱいいろんなことがあった。でもいまひとりになったとき、ふと考える。これまでの人生で、ほんとうの自分というものがあったのか。ないのではないか。人のいうとおり、あるいはテレビや新聞のいうとおりの場所に、生き方に、しあわせがあると思って、それにそって生きてきたのではないか。自分の人生を自分で生きたと思っていたのに、そうではないのではないか。深夜ひとり風呂につかったとき、これまでの自分がまぼろしに思える。さみしまぼろしである。そんとき「詩集を出したい」という思いがこみ上げる。自分の言葉で、自分だけのリズムで、自由にうたいたい。ことばを残したい、と。短歌や俳句は、約束ごとがある。自由にはなれない。それは、おおきなちがいだ。歌集ではない。句集でもない。詩集を残したいと。


自分の気持ちを表現する方法は詩でなくちゃいけないということなのだろう。
だれのためでもなく、自分のために。
そしてそれは日本の文化に根ざすものではなく、西欧からきたものらしい。
個人の存在主張、自由な形式...なんと西欧的なことか。

ますます詩に対する興味が深まってきた。
文芸と詩を比較すること自体意味がないとは思うけれど、詩のほうが精神性においてはまちがいなく高い。
いろいろ読んでみよう。
そして、いつの日か人生の記憶を詩にしよう。
そんなことを考えさせられた一冊でした。
あらためて詩とは何かを考えるのに最高の一冊だと思います。
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2005.03.15 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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