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FUTON

松浦 寿輝

大学教授である迫村は日常を離れるために、瀬戸内海にあるS市の半島を訪れる。
ここは以前講演会に招かれた思い出の町。
そこで戸川老人やその娘佳代、中国女性シェーフエン、かつて教え子だった向井、イグアナを飼うロクさんなどとの一見ありふれた交流が始まる。
ところが物語がすすむにつれ、半島のあちこちの場所と時間までもつなぐ坑道の話や影と語り合う場面など夢と現実の境目が判然としなくなってくる。
最後に至っては悪夢としか思えない。
閉塞した生活を離れ自由を探すはずの旅が、いつしか現実へ引き戻す旅へと変わっていく。
半島での生活は、まさに仮初(かりそめ)の世界。
月夜に見た夢のようでもある。

前作の「あやめ 鰈 ひかがみ」もそうだったけど、この人の書く話は、日常の裏に潜む漆黒の輝きのような魅力を感じる。
ものごとにはすべて陰と陽があるけれど、陰に当たる部分を暗くなることなく書ける珍しい作家では。
決してきらびやかでも派手やかでもないけれど表の人生を浮き立たせる影を書かせれば右に出る者はいないとさえ思える。
谷崎潤一郎は「陰翳礼賛」で日本を影の文化として定義しているけれど、松浦寿輝の小説にも陰の美しさを感じる。

作品中に出てくる北原白秋の「思ひ出」に収められた「たそがれどき」がこの小説の持つ色合いをうまくあらわしているように思います。
 
  たそがれどきはけうとやな、
  傀儡師(くぐつまはし)の手に踊る
  華魁(おいらん)の首生(なま)じろく、
  かつくかつくと眼が動く‥‥
 
  たそがれどきはけうとやな、
  潟(がた)に堕した黒猫の
  足音もなく帰るころ、    
  人霊(ひとだま)もゆく、家(や)の上を。
 
  たそがれどきはけうとやな、
  馬に載せたる鮪(しび)の腹
  薄く光つて滅(き)え去れば、
  店の時計がチンと鳴る。

  たそがれどきはけうとやな、 
  日さえ暮るれば、そつと来て
  生肝取(いきぎもとり)の青き眼が
  泣く児欲しやと戸を覗く‥‥
 
  たそがれどきはけうとやな。
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2005.03.20 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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