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W・G・ゼーバルト (著), 鈴木 仁子 (翻訳)

『移民たち』という新訳の旧作を読もうとしながら、なぜか思い立ってこの本を手にしました。そして、読み始めてすぐに、ゼーバルトのモノクロのとらえどころのない不可思議な物語世界に引き込まれてしまいました。
普通なら読み終わってどうだったという話になるのですが、この小説の場合には、読みはじめと同時に収斂する先の見えない空洞に放り込まれたような独特の魅力に囚われていくのがわかります。
”彷徨”という言葉に個人的に弱いところはあるかもしれないですが、それだけでは片付けられない多彩な魅力にあふれる小説です。
幼くして両親と別れ、5歳までの記憶をなくしたアウステルリッツとベルギーのアントワープ中央駅で偶然出会った語り手の私が、その聞き伝えの内容を淡々と綴っていきます。この作風もあってアウステルリッツの存在が実存と感じられず、霞み移ろいます。その話は”喪失”のイメージを散文にしたようなもので、ポッカリあいた形のない穴に落ち込んでいくようでもあります。表紙の写真に感じるなんともいえず満たされない陰鬱で平坦な空気が小説の中でも同じように繰り広げられるます。
こうなると、もはや練りこまれたストーリーの良し悪しさえも問題でなくなります。全編を読まなくても言葉の端々さと作風が感性を刺激して止まない物語です。
視覚の断片によって紡がれているような、他に二つとないすばらしい小説だと思います。ありそうでなさそうな、アウステリッツの人生とこの小説。読了まで不思議な気分にとらわれ続けます。小説なんて所詮つくりもので、これからの時代はネットで配信されたりする時代になるかもしれないわけですが、この小説に限ってはどうしても書籍の体裁でなければいけません。掲載されているモノクロの写真から感じる怪しげで作為を感じる創作は書籍の体裁であってこそなせる業です。
表紙の美しさ、研ぎ澄まされた言葉の連なり、語り手とアウステルリッツそして彼が語る人々の言葉によって多層化された時間と場所。失ったものの周辺を永遠とさまよいながら、自己の存在を問いかけていく時間が読者を魅了して止みません。まさにドイツ文学が生み出した傑作のひとつだと思います。
将来のノーベル賞作家と目されながら、この作品を最後に事故で他界してしまったことが残念でたまりません。

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2005.12.01 | 本  | トラックバック(1) | コメント(2) |

こんばんは
ゼーバルト、とても不思議な雰囲気を持ってますよね。『アウステルリッツ』はとても印象的でした。
ちょうど今、『移民たち』を読んでいるところです。

2005.12.02 00:26 URL | nyu #- [ 編集 ]

コメントありがとうございます。nyuさんも読まれたのですね。
この本を言い表すが、なかなか見当たらなくて困りました。あとがきを読んでも、背景説明のような感じで、あまり的を得てないようで。
今度のシリーズ6冊では改訳になるそうで、あとがきも多和田さんになるそうです。
作品に影響を受けたのではないかと思われる多和田さんのあとがきがちょっと楽しみです。

2005.12.02 19:58 URL | uota #ogz9v/Dw [ 編集 ]












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『アウステルリッツ』
 W・G・ゼーバルト著鈴木仁子訳『アウステルリッツ』(白水社)を読む。「私」は...

2005.12.02 23:46 | sein

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