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エミール・クストリッツァ

1950年、チトー政権下のユーゴスラビアが舞台。つくられた1986年はミロシェビキ政権下にあるというところからして、他国民にはなかなかわかりにくいところ。
ストーリーは、チトー体制のちょっとした批判を大意なくしてしまったことを愛人にしゃべられ強制労働に送られてしまった男とその家族の話。
当時の社会主義体制のきびしさを描くことにとどまらず、ユーモアや皮肉やあきらめなどが入り混じった噛めば噛むほどに味がでるような作品になっています。
女癖の悪い父親、夢遊病の息子マリック、その彼女との死別、ほとんどしゃべらない兄、熱狂的サッカー熱(52年ヘルシンキ大会)、体制に壊された人間関係、哀愁と退廃感漂う音楽、過度にエロチックな描写、くすんだ映像などの要素がモザイクのようにくみ上げられています。
その鬱屈した卑屈なユーモアや映像センスは絶品です。
体制批判にとどまらず時代をモチーフにした映像芸術という印象もあります。
クストリッツァ監督の個性はかなりアーティスティックですし、いかにもカンヌのパルム・ドール受賞作らしいとも言えますね。
この映画のよさを伝えるのはとてもむずかしく、実際にその真価をわかる人も少ないだろうと思います。
体質的に受け付けないという人さえいそうです。
かく言う私も、きちんと説明することをあきらめたままこのエントリーを書いています。
この映画は、わかる人にだけわかればいいという、観るものを選ぶ作品です。このマニアックな感覚がわかる人にとってはたまらない映画だと思いますが。

[映画▼▼▼▼▽大盛]
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2005.11.04 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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