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[セルビア/コソボ]
ボスニアのセルビア人過激派によるオーストリアのフランツ・フェルディナント大公暗殺が第一次世界大戦の始まりになったことは良く知られるところ。
バルカンの火薬庫はいまだ消えずの感を強くしました。

1389年にセルビアがオスマントルコに敗北したときから、イスラムに改宗したアルバニアの勢力拡張が営々と続いてきた。
セルビア人にとっては痛恨の敗北として、いまだ払拭できない悪夢らしい。
1948年ティトーがスターリンと袂を分かち独立路線をとったときに、コソヴォ地区(セルビアのアルバニア人居住区)のアルバニアへの併合や独立への道が閉ざされる。
ここに、すべての紛争の火種を残すことになる。
1980年のティトー死去により連邦国家であったユーゴスラビアの解体が始まり、90年のユーゴスラビア共産主義者同盟の解体を契機に、91年から92年にかけて、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが次々と独立を宣言しすることとなった。
この間、悪名高きミロシェヴィチ率いるユーゴ連邦軍は、実質的にセルビア人の軍隊と化し、民族浄化を進めた。
とくにコソヴォ自治区の独立運動弾圧やボスニア・ヘツツェゴビナの領土分割をめぐるクロアチアと新ユーゴ連邦(後のセルビア・モンテネグロ)の衝突(ボスニア戦争)は凄惨をきわめた。
1998年のNATO軍によるコソヴォとセルビアへの空爆を経て、ミロシェヴィチは撤退に追い込まれる。
しかしながら、勢いを得たコソヴォ解放軍は隣国マケドニアにが進出し、民族解放軍を結成する。
マケドニアがコソヴォと同様の状況に置かれることも考えられるし、マケドニアを国名から承認しないギリシャ、アルバニア人を支援するアルバニア、同じく親密なトルコ、対立するブルガリアなどが紛争に巻き込まれる可能性を残すという。
宗教や民族対立ではなく、紛争が紛争を生み出す世界に平和は音連れルのだろうか。
多大な犠牲を払いながら独立を獲得した今、それぞれの国がECへの加盟を目指し、結果としての経済統合に向かっている。
著者の言うように、無意味な戦争だったとして総括されることになるのだろうか。
こういう言い方はよくないかもしれないけれど、そこには滑稽なほどの過去に対するこだわりがあるような気さえしてくる。

この本により、今までよくわからなかったバルカン半島の情勢が少し見えてきた。
著者自身も居住していたわけでないことからあまり詳しくはないらしい。そういう意味では、前半の[イスラエル/パレスチナ]の読みごたえには及ばない。
ただ、自らの足をもってそこに暮らす人々の生の声に耳を傾け、客観性を持った事実を掴み取る力には敬服します。
今後の著作にも期待したい方です。
著者が映画史を専門とすることから、ドキュメンタリーを中心にいくつもの作品が紹介される。
商業的に一定の成功をおさめたクストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』やダノヴィッチ監督の『ノーマンズ・ランド』はあらためて見直したいと思った。
まったく背景を知らなかった当時とは別の見方ができるように思う。
今手元のライブラリーにあるダノヴィッチ監督の『パパは出張中』は今夜にでも見ようと思う。

[イスラエル/パレスチナ]についてはこちらです。
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2005.11.03 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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