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ディーノ・ブッツァーティ

いつの日かタタール人が攻めてくる。
水平線の先まで広がる砂漠の彼方から。
その最前線にあるバスティアーニ砦に配置されたジョバンニ・ドローゴ。

来る日も来る日も、タタール人の襲撃に備える日々が続く。
実際に襲撃を受けたこともなく、その姿も見ないままに30年の月日が流れている。
なぜ砂漠を越えてタタール人が来るのかさえもわからない。
しかし、決してその可能性が消えるわけではない。

なんとも不思議な話しです。
人生や思考の多くのことがらに当てはまりそうな寓話ですが、それが何なのか明確に言いあらわすことがむずかしい。
何かが起こることに可能性を見出し、自己の存在価値が意味づけられるとでもいうのか。
起こることに意味を感じ、変わりばえのしない時間の繰り返しが連なる。
意味のあることと無意味なことがメビウスの輪のようにつながっているように感じる。
これが人生と言わんばかり。
1冊の本でドローゴとともに人生をいっしょに過ごしてしまったようです。
さすがに最後のオチにはちょっと滅入りますが、実によくできた小説です。

目的はなぜ目的になりうるのか。
価値とはどこからもたらされるのか。
ないものをあると思うことは何を意味するのか。
分かちあうことは絶対なもののか。
時の経過は何を語りかけるのか。
そして、死は何をもたらしてくれるのか。

先日読んだカフカの『城』をストーリーとして完結させてしまうと、きっとこういうことになるのだと思います。
不条理ってやつにはほんと困ったものです。
あ~ぁ、幻想文学ってよいですね。
次はいよいよ『百年の孤独』です。

[本▼▼▼▼▽]
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2005.10.22 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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