上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

amazonへ

ユクスキュル

動物に主体としての知覚があれば、知覚世界(Merkwelt)があり、、作用するものはすべて作用世界(Wirkwelt)になるという。
著者は、それを当たり前に思えれば、知覚世界と作用世界が連れ立って環世界(Umwelt)という完結した全体を作り上げているということを受け入れているのだと言う。
行動主義心理学者の言うところの、感情や意志は外見に過ぎず、動物は適切な知覚道具と作業道具が選ばれてそれがある制御装置によって結び付けられているといいう考えに対峙する考えとして書かれています。
要は動物は客体なのか主体なのかという議論のようで、この本は当然主体という立場を取っています。
ここは主体と考えるのが自然なように思うのですが、それをどうして真剣に考えざるを得なかったのかは私にはよくわかりません。
ただ、読み進むうちに主体の話から環世界の話へと視界が開けていきます。

ダニが18年間も食べないで生きていられる話を例に、動物により瞬間の時間は違うという話がされる。ちなみに人間は18分の1秒、それより細かい瞬間は認知できないという。映画のコマがまさにこの18分の1秒なのだそうだ。主体なくして時間はないなんて、なんておもしろい話だろう。
一般的な三半規管がつくる作業域ではないコンパスの存在の不思議や触空間も含めた動物それぞれにある空間の話。
視空間も最遠平面と呼ばれるシャボン玉のような空間に囲まれているという。つねにその外の世界とは遮断されていて、当然その大きさも主体によって違う。人間の大人と子供もまったく違うというのは心当たりがある。
当然のことながら形と運動の仕方によっても知覚の仕方が違う。
さらに、高等生物以外には目的はなく、自然設計に組み込まれているという話もおもしろい。目的のない動物はすべてある種の特定の知覚によって目的を持っているかのように動くのだそうだ。
同じ部屋を見ても動物によってどこまで分類して見えるかは違う。

こういう話を読んでいくうちに、今見えたり感じたりしている世界が、人間という主体から見たものでしかないことを痛感させられるようになる。そこにあるという感覚は何を根拠にしているのかさえわからなくなる。時間も空間も目的も、そこにはあるかもしれないし、ないかもしれない。それはすべて主体しだいということ。
なんということでしょう。これじゃ、四次元の世界だってあるに決まっているということじゃないですか。
この本に当時は哲学者が反応したというのもわかる気がします。環境ではなく主体の意味を訴えてますからね。
とても刺激的な本で楽しく読めました。

[本▼▼▼▽▽大盛]
スポンサーサイト

2005.10.03 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://slowfish.blog9.fc2.com/tb.php/527-e4a0ad53

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。