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青木 冨貴子

731部隊の話は、ずっと気にはなっていたけど手ごろな本がわからなかったこともあって、まとめて読むのは今回が初めてです。
おぞましい事実が書き綴られたものかと思っていましたが、思いのほか冷静な取材がなされていて好感が持てる内容でした。
そのあたりは『731』というシンプルなタイトルにも伺えます。

石井四郎は、並みはずれた奇行とも言えるプレゼン能力により、石井式濾水器を参謀本部に売り込み、さらに防疫給水関係の予算を取り、のちの一大細菌戦施設を平房(ピンファン)に設立するに至ったといいます。
1933年に始まった「東郷部隊」を母体とした「関東軍防疫部」は1940年に「関東軍防疫給水部」と名前を改めます。
そのころから中国東部や中部に対して細菌攻撃のための各種実験を行っていましたが、それは陸軍総がかりの作戦といえるものでした。
コレラ菌、チフス菌、赤痢菌、ペスト菌、タンソ菌などの人体実験が行われた当時の施設は、最近まで中学校校舎として使われ、2001年からは「侵華日軍大731部隊罪証陳列館」として公開されており、著者はそこへも足を運んでいます。
客観的な事実として石井四郎の特異な人格にも触れてはいるものの、その周辺の徹底した取材データにより当時のありのままの状況がわかる好著だと思います。
石井四郎の故郷である千葉の芝山町大字大里小字加茂の平房(ピンファン)との繋がりや当時身の回りの世話をしていた渡邊あきに預けられていた石井直筆による終戦時の撤収メモ、初めて証言した元軍医の野口さんや少年隊として平房に送られた篠塚良雄の証言などを興味深く読みました。

本書は、戦後アメリカとの密約によりいかにして戦犯を逃れることになったかを当時の資料に基づき詳細に描き出しています。
マッカーサーのアメリカがソビエトに史料が渡るのを恐れ、細菌実験のデータを自国のものとしようとしたかが伺える内容です。
間違っていたとされる東京裁判と石井等への無罪対応の矛盾に考えさせられることは多いですね。
東京の陸軍参謀本部から天皇を守るために研究のすべての破棄を指示されながらも日本へ持ち込み、人体実験データと引き換えに結果として天皇を含めた戦犯としての罪を逃れることになった731部隊の関係者たち。
「石井の番頭」であった内藤良一らは日本ブラッドバンク(のちのミドリ十字)を創業し、“薬害エイズ事件”を引き起こすことになります。
人を人と思わない態度は反省になく現在に引き継がれていると思うと背筋が寒くなる思いです。
幹部が大学医学部や製薬会社、国立予防衛生研究所に職を得たことと異なり、少年隊のメンバーであった篠塚良雄など33名は1996年にアメリカのウォッチリスト(戦犯容疑者リスト)に登録され、現在も入国を制限されているということを聞くにつけこの問題の複雑さを考えさせられます。
間違っていたとされる東京裁判と石井等への対応の矛盾にも感じることは多いですね。

1997年には、崇山村の住人180人が細菌攻撃に対する賠償を東京地裁に提訴し、2001年の1審で賠償は棄却されたものの事実認定をされたそうです。
日本政府は現在も、731部隊が存在したことは認めるものの、細菌兵器の開発や実戦使用は依然否定しています。

[本▼▼▼▽▽]

薬害エイズと日本の医学者

シェルダン・H・ハリス『死の工場』
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2005.09.24 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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