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カフカ

なんだかこんなのでいいのでしょうか?
読んでいるうちに、煮え切らないやつと話しているようないらだたしい気分になるときもあるわけですが、それがこの小説の快感といえば快感。
プロットを立てずして小説を進めたというのが、読み進むうちに体感できます。
なにもないと思っていたところに、次々と事実が提示され始め、あたかも作者のカフカと読者が登場人物たちによって迷宮に引きずり込まれていくような世界です。
この破綻の仕方はかなり危険な香りがします。
登場人物のそれぞれに著者による何らかの記号が秘められているようでありながら、実際のところは何もないようでもあります。
こういう技法が意図的なものだったのであれば、空前絶後の壮大な実験小説のようなものだったのかもしれません。
だから、未完成であることは必然であるといえるし、小説に取り残された結果としてのむなしさと紙一重のような余韻も感じるのでしょう。

もうひとつ感じたのは、カフカが置かれた会社や社会がこの小説そのものだったのではということ。
それでなければ、これほどまでの不条理をモチーフにしようなんて思わないのでは。
学生時代の多感なモラトリアム時代には共感することも多いかもしれませんが、現実社会に出てこれを受け入れるには相当の勇気がいるように思います。
しかし、それをやってしまったカフカという人は、とても健全な精神状態とはいえなかったのだと思います。
求められない主人公が、他者の人生に影響を及ぼしていくような設定は、普通に考えれば耐え難いものではないでしょうか。
「不」とか「無」とか「未」といったものを容認しちゃっているわけですから、自己否定にもつながるかなり危ない状態だったと推察します。
不条理は不条理でいいんですが、それをしっかり受け止めてしまっているからやっかいです。
一見、自然と一体化し自らを無にするという禅の考え方に似てますが、禅がポジティブなのに対して、カフカは受身でいけません。
実際にはポジティブを求めていたのだとは思いますが、きっとそれを欲すること自体が自分の存在否定になってしまったのでは。
自らの存在価値を見出すためには、不条理を是とし同一化していくしか方法がなかったのかなとさえ思えます。
ありえない自己実現に可能性を求めるか、絶望的な不条理に可能性を求めるか。きっとどっちもどっちなんだと思いますが、択一を求められればなんだかんだ言っても前者に救いを求める人が圧倒的に多いのでは。
では、後者はどういう人はあてはまるのかというと、現実を知りすぎてしまったか、耐えられなくなってしまったか。
人間の到達してはいけない本質を垣間見るような本でもありました。

[本▼▼▼▽▽特盛]
登場人物
 ヨーゼフK   主人公で最初のみヨーゼフを名乗る
         測量士として城の誰かから要請を受ける
 アルトゥーア  助手1 気弱な男 Kが殴る
 イェーレミアス 助手2 フリーダに思いを寄せる幼馴染
 フリーダ    クラムの元愛人で、Kと付き合う 貴紳荘ホール係
         オルガの家族を嫌う

 オルガ     姉 家族の零落を語る
 アメーリア   妹 城の役人と問題を起こし家族の零落を起こす
 バルナバス   弟 城の使い 最初にKに手紙を渡す使者 第二章

 クラム     城の役人 貴紳荘で横顔を見る
 モスム     クラムの文書受け取り係
 ソルティニ   一番働き者の役人

 女将      鍛冶屋の娘で働き者
 ハンス     女将の夫でもと大地主の馬丁

 村長
 ミッツィ
 ラーゼマン夫妻 
 ソルディーン  ラーゼマンの義弟

 ペーピ     フリーダ後、ヘレンホーフの女中係からホール係に
 教師      小太り

 ベルトゥーフ  城近くの荘園の農夫
 オスヴァルト  

 シュヴァルツァ 執事の息子 Kが村で最初に出会った青年

 ブルンスヴィック

舞台
 橋亭      最初にたどり着いた居酒屋=ブリュッケンホーフ
 貴紳荘     城の役人の宿泊所=ヘレンホーフ 第三章
 城に行く途中休んだ一軒屋     
 学校            


http://www.ip.kyusan-u.ac.jp/J/noguti/enkin-sryku-t.txt
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2005.10.17 | 本  | トラックバック(0) | コメント(4) |

先日はチャットにて失礼しました(^^;
私も設置しようかなとも思うのですが
自分がそろそろネット落ちしようと思ったときに
誰かがきたら相手しなくちゃいけなくて不便じゃないですか?
(この間の私の時のように 笑)
さて『城』ですが、私はこんな風に感じました。
20代の頃は、どこかに到達したいと思っていましたが、
最近、人生は結局、うろうろして終わってしまうものかも
しれないなあと。
(人生の落伍者なのか? 笑)
そんな時期なので、ヨーゼフにおおいに共感しました。
カフカは原稿を「採用されるよりも送り返される方が
はるかにうれしい」といっていました。
どこにも到達しない自分をむしろカフカは楽しんでいたのではないかと
私は感じるのですが…
この池内紀翻訳の全集、ほしいんですよねー。
uotaさんは全部、お買いになったのですか?

2005.10.18 09:22 URL | LIN #- [ 編集 ]

こんにちは。とうとうカフカの「城」、読破されたんですね。私はカフカの長編は「審判」の方しか読んだことがないのですが、延々と続く煮え切らない世界が、やがて「愉悦」に変わってくる・・というのが私の中でのカフカ観です。
「審判」のラストでヨーゼフ・Kは死んでしまうのですが、その後どこかで読んだ短編でヨーゼフ・Kが登場してくるのを読んで、この物語は終わらずに続いているんだな、という印象を持ちました。もともと書物として編纂されたものではなく、作者の死後に無理やり時系列を与えてまとめ上げたパッチワークだという話ですから、普通の意味での「小説」とは大分捉え方が違ってくると思います。
そう考えると、「城」も「審判」も切り取られたシークエンスの連なりに過ぎず、卓越した映画作家の作品を観るように、ただ身を委ねていることが快楽なのかな?と感じています。もちろん短編と合わせて読むと、色々と読み解くヒントもありそうですが・・。

2005.10.18 12:10 URL | youthkee #zlAQJbYM [ 編集 ]

LINさん、こんにちは。
チャットは、話すというよりも誰かがいるという時間の共有感が得られればそれでいいと思っています。
あれ、一度ハンドルを使って書かれると次からブログを見ているときにその人の名前がでるんですよ。
私の場合は、双方で話しがしたければ話すぐらいの軽い気持ちでいます。
話せないときは、だめっていってもらう関係がいいななんて思ってますが、無理でしょうか。

カフカは到達しないのを楽しんでいたふしはありますね。
完結を目指してなく、いったいどうなってしまうのだろう? って本人も思っていたのかなぁ。
楽しんでいたというよりも、それしかなかったというのも半分ぐらいあったのではと思いましたが、どうですか?
まだ、何かの答えを見出したいと思っている私は未熟なのかもしれません(笑)
あとからあとから出てくる事実関係を時間軸とつじつまでみていくと、いかにカフカが偶然の展開を期待した創作をしていたかがわかりおもしろそうですね。
池内紀翻訳で読みましたが、例によって図書館で借りました。
結構しますよね、この本。
いつか、ブロート版も読んでみたいと思っています。

2005.10.18 22:58 URL | uota #ogz9v/Dw [ 編集 ]

youthkeeさん、こんにちは。
煮え切らない世界が、「愉悦」になるという気持ちよくわかります。
『城』って、死後のパッチワークなんですか?
だとしたら、創作を楽しんだのは後世の人ということになるのかなぁ。
でも、さもありなんと思わせる小説ですね。
何も答えのない空想世界に住まうキャラクターたちにプロットに縛られない不条理の世界に誘われているようですね。

2005.10.18 23:04 URL | uota #ogz9v/Dw [ 編集 ]












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