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リチャード・フラナガン

現代に生きるハメットが偶然「魚の本」を発見したという話にはじまり、物語は一気に180年前の流刑地ファン・ディーメンズランド(現タスマニア)の地にさかのぼります。
科学者コズモ・ウィーラーに自然の記録を委嘱された外科医は、画才のある囚人グールドに、ファン・ディーメンズランドの魚を絵に記録することを求めます。
圧倒的な絶望とほんのわずかな希望の織り成す物語が綴られていきます。

グールドはいろいろな自然の画材を使い魚の水彩画を描きながら、そこになにを見出していたのでしょう。
魚を「過去の悪夢」、「死者の自然史」としてみていたのか、それとも外界との唯一の接点であり自由の象徴と見ていたのか。

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魚が一匹死ぬたびに、世界からその生き物分の愛の量が減るんだろうか? 魚が一匹網にかかって引き揚げられるたび、その分の驚異と美が減った状態で世界は続いていくんだろうか? そして、もしおれたちが、取り上げ、略奪し、殺し続けるなら、その結果、世界から愛と驚嘆と美がどんどん奪われ続けるなら、最後には、何が残るんだろうか?

生態を克明に描くために生きたまま板の上に乗せ、死にそうになると水に戻し、また板の上に戻す。
魚に目を向けながら、そこに自らの置かれた陰鬱な孤独を重ね合わせていたのかもしれません。
狂った司令官や外科医、山賊ブレイディーなどの表情が魚に見て取れるのも悲しい。
物語は、非情な拷問や意味のない蒸気機関組み立て、大麻雀館の建設、山賊との攻防などが描かれていきます。
そして、グールドの最期は、思わぬ形でのサラ島からの脱出。
海に消えた彼の魂はどこへ向かったのでしょう。
きっと神の地と呼ばれるようなところではなく、自然そのものに抱かれたのではないかと思いました。
左胸に彫られていた「Love & Liberty」の文字が悲しみを誘います。

1827年12月、囚人輸送船エイジア号でファン・ディーメンズランド(現タスマニア)に送られたウィリアム・ビューロウ・グールド。
当時のイギリスは産業革命の直中にあり、産業構造の変化が多くの貧困を生み出していたといいます。
実在した主人公のグールドもその貧困に負い込まれた一人だったようです。
当時、植民地拡大を目指していたイギリスでは、ささいな犯罪であっても、植民地開拓や支配のために遠隔の地まで罪人送り込んでいました。
舞台となったサラ島は、ファン・ディーメンズランドでも最も恐れられた流刑植民地。
実在したグールドは絵を得意としていたようですが、島での詳細な生活記録は残っていないようです。
タスマニア生まれで、歴史家である著者のリチャード・フラナガンは、タスマニア州のオールポート美術館に残る36葉の水彩画と史実を重ね合わせこの物語を書いたそうです。
美術館に残ったほんの少しの魚の絵から、歴史を読みこみ創作された物語は、当時の厳しく切ない情景が時を超えて語りかけてくるようです。
理不尽な流刑の身は厳しい現実だったと思いますが、それだけにとどまらない不思議なロマンティシズムを感じさせるところがこの小説の完成度の高さを示すものといえるのかもしれません。
歴史書であり、幻想文学であり、哲学書であり、博物史であるような、とても多様な楽しみを持った本です。
厳しい話にも関わらず、生きる喜びやユーモアさえも読み取れます。
さらに、オリジナルの挿絵、色文字、「魚の本」があったという物語構成などから、小説の匂い立つような豊潤な香りも感じます。
どちらかというとヘビーな小説好きに受けるタイプのものだと思います。
難しげな表現で書かれていますが、話はいたってストレートかつ深みを持った小説です。
1冊の本でありながら小説の多用性を思う存分感じさせてくれる本でした。

タスマニア州立美術館

Gould, William Buelow

[本▼▼▼▼▽大盛]
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2005.09.17 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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