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保坂 和志 

保坂和志ってただ者じゃないです。
そんなこと知らなかったのといわれそうですが、それを初めて知りました。
小説をほんとに愛しているという気持ちが隅々に感じられますね。
小説なんて所詮時間つぶしの娯楽なんて思っていると大間違い。
『小説の自由』というタイトルに托されている、小説の持つ無限の可能性。
最高の書き手から最高の読み方を教えられたようです。
これは、作家と読者の橋渡しになるような本ですね。
論評するために読む評論家にはわからない世界なのだと思います。

予定調和的な小説を書く作家も多いし、それをよしとする作家も多い。
けれども、ほんとうの小説の醍醐味や可能性はそんなところにはないと保坂和志は言っています。
商業主義を排した芸術としてのとらえ方が読んでいてとても爽快です。
言われてみれば当たり前なのですが、全体としてバランスが取れて意図したものが明確に整理されたような小説は、本来的でないというようなことが書かれています。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、自由奔放であること自体がすばらしいということになるのでしょうか。
そこにこそ無限の可能性を秘めた小説のこそ実体があるといいたいようです。
部分の多様性があって漠然と全体が生まれていく。
それに身をゆだねることが、作家にとっても読者にとっても、もっとも幸福な時間を得られるということになりそうです。
正解やあるべき姿と対比して語ることはむなしいですね。
そのとき、自分がどういう心持になったかだけが唯一の楽しみでよいのでしょう。
それを作家と読者が共有していると思えれば本というものの見方が変わってきます。
きっと、読むたびに違う感想を持てることも小説の楽しみ方ということなのでしょう。
保坂さんの小説は『カンバセーション・ピース』しか読んでいませんが、あの一見ごく普通に見える小説がこういう考えをする人によって書かれたものだと思うと、再読せずにはいられない衝動にかられます。
ピンチョンや青木淳悟のすばらしさを訴える保坂さんの思いが、やっと自分のもっていた感覚と一致した気がします。
創造する側の思いってこういうものなんですよね。
そういう気持ちで本というものを読むと、小説のもつ世界が格段に広がりそうに思いました。
これは、読書、とりわけ文芸小説を読むことをより豊かなものにしたい人にとってとてもいいガイドになりそうな本です。

179
小説家が小説を書くときに確かなものがあるとしたらそれは何を指すのか。それは、事前の構想にしたがって羊の群れを制御=抑制するのではなくて、羊の群れの気ままな動きに身を任せることなのだ。

205
小説というものを部分の集積だと考える人がいるけれど、小説は部分の集合ではなくて何よりもまず全体として小説家に与えられる。もっと実感に即していうと、”全体”ではなく、”全体の予感”とか”全体の気配”とかそういう、おぼつかなくておぼろげな感じなのだが、それでもやっぱり全体であって、絶対に部分ではない。

280
小説とは、絵画や彫刻や音楽や映画や演劇やダンスや詩や・・・それらと同じく芸術なのだから、運動が不可欠な要素としてある。ただ、詩も含めてここに列挙したすべてと小説が違っているのは、小説の運動が、字面という視覚的なものや言葉の響きという聴覚的なものなど、感覚的、身体的な、即物的な次元を頼りとすることができず、すべての文字が頭の中で処理されるその過程で生まれるということだ。これが簡単ではないのだが、しかしこれさえクリアできれば、他のことはついてくるのではないかとも考えている。芸術というのはそういうもののはずだから。


マティスの最終的に到達する大らかでざっくりした絵、シェリングの「完全なるものは不完全なものである」という言葉。
すごく共感し、新しい視点を感じさせてくれた1冊でした。

人称の違いは「私」の濃度を変えるものではない。
「私」の視線だけでなく、視線が登場人物の間を移動する事実。
セロニアス・モンクがメロディでないように、小説は必ずしもストーリーではない。
「わかる」「わからない」ではなく、何度もふれようとすること自体が評価になる。
実は小説にメタレベルがないということもあり、カフカの『城』や青木淳悟の『クレーターのほとり』のように何かではあるけど、何かはわからないことも。
人間は、結局他者のものの受け売りの集合体だから、わたしは固有なものとはいえない。
身体で感じるものを言語にすることは、まったくことなる原理である、文字で表すこと自体の困難さを考えれば、言葉の選択など苦ではない。
登場人物は勝手であることをよしとする。
小説を読むことは、目と手の作業ではなく脳の中で行われるもの。

保坂和志公式ページ

[本▼▼▼▼▽]
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2005.09.03 | 本  | トラックバック(1) | コメント(2) |

uotaさん、こんにちは。
私も読みました♪
大好きな『城』や『冷血』が取り上げられていて嬉しかったです。
どうも最近の傾向として、短くて簡単に感動できる本が
喜ばれているように思います。
本って、長くてまどろっこしい小説をじっくり読むことで
発見できる何かがあるんですよね。
最近のライトノベルの人気ぶりなんかを見ていると
日本人は幼稚化しているのかなあとさえ思ってしまいます。

2005.09.06 10:51 URL | LIN #- [ 編集 ]

最近、80年代に入ってから「教養」ということが消えてしまったという指摘を何度か耳にしました。
最近、『グロテスクな教養』というようなタイトルの本も出て、教養に対するとらえ方も賛否があるようです。
それと直接関連するかどうかはわかりませんが、読書もごく軽い娯楽的なものが多いなっているのは間違いないですよね。
この本の中に書かれていた、名作を要約したものがいかに意味のないものかというくだりを読んだときには目から鱗は落ちる思いでした。
今まで自分は小説に何を求めていたんだろうと。
小説に対して、保坂さんのような考えを受け入れられる人はどれだけいるのかなぁというのも正直な感想です。
この本を読んだからというわけではないのですが、『城』や『冷血』が書棚で出番待ちです。
いい本をじっくり大切に読まないとと考えるこのごろです。
『城』を読み終わったらコメント書きます。
はたして、どんな感想になるでしょう。

2005.09.06 18:05 URL | uota #ogz9v/Dw [ 編集 ]












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保坂和志 『小説の自由』
※「3 視線の運動」から引用。イアン・ロバートソン著『マインズ・アイ』(茂木健一郎監訳)という本にこういうことが書かれている。まずは、次に書いた文章を黙読して、それに要

2005.09.06 19:07 | Doors open at 10 p.m.

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