上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

チェチェン やめられない戦争

アンナ・ポリトコフスカヤ

先日の北オセチアのベスランで起こった学校占拠爆破テロの記憶は新しいところ。
ここ数年のチェチェンをめぐる惨状には目に余る物がある。
いったい何のために誰が戦っているのか。
それがなかなかわかりにくい。
実際、西欧諸国もあたらずさわらずというのが現状のようだ。
少しでもその実体を知りたいと思ってこの本を読んでみた。
最近の各紙書評にも必ず登場している本なので客観的に知るのに適しているのだろうと思う。
読んでみて感じるのはまちがいなくチェチェンの中心都市グローズヌイが政治・経済のいずれにおいても戦略要所であるという事実。
ここでも紛争地の例に漏れず、独立しても十分やっていけるだけの石油資源が埋蔵されているという。
必ずしもこれが一番の理由ではないかもしれないが、独立をめぐって紛争が起こる理由のひとつであることは間違いない。
全体を読んで感じるのは、プーチン前のクレムリンの無策とプーチンの権威主義、さらにはチェチェンを牛耳ろうとした戦闘力だけで政治的に無能の野戦司令官たち、加えて外部から流入してきた余計なイスラム過激派。
そして、それらの犠牲となる罪もない市民たち。
まだ、半分ほどしか読み進んでないけれど、いてもたってもいられなくてこの記事を書くことにした。
すでに目的を失ってしまったような戦闘状況の中、何の罪のない市民が次々と殺されていく。
テロを駆逐するはずの連邦軍による凄惨きわまりない行動に大儀などあるはずもない。
これ以上の連邦軍による意味のない虐殺をなんとしても止めないと。
掃討作戦で連れ去られた人を助けるためにお金を要求する連邦軍を許すわけにはいかない。
殺した無実の人を引き渡すためにさらに高額な金額を要求することに何の意味があるのか。
人間狩り状態のチェチェンに目を向けないと、罪のない家族を惨殺され取り残されたものにできるのは自爆テロだけだろう。
自分がこの状況に置かれたなら間違いなく自爆テロを行うだろうと思う。
ここで起こるチェチェン市民による自爆テロこそが唯一意味を持つことのようにさえ思えてくる。


チェチェン総合情報
1996年時点ですでに死者が20万人。
クレムリン(連邦軍)がチェチェンの氏族(テイプ)の利害関係を利用しようとしたところから見通しの立たない泥沼の内戦になった。
1997年第二代大統領のマスハードフ(ドゥダーエフ派)がエリツィンと平和条約を結ぶが、当時チェチェンの指導権を握りつつあった第一次チェチェン戦争の野戦司令官たちが政治的エリートになれそうにないことに気づき、彼らの権力争いが内戦への引き金となる。
1998年、彼らによるマスハードフの暗殺未遂事件が起こり、同時にマスタードフの辞任要求へとつながる。
マスハードフはイスラム法典による統治を導入し、公開処刑などを行うが、混乱はさらに拡大していくことに。
政治機能が停止したところに対し、ワッハーブ(あごひげ)派と呼ばれるイスラム急進派の暗躍が始まる。
1999年、シャミーリ・バサーエフとハッターブ派の一人である野戦司令官の率いる部隊がダゲスタン共和国に行軍するが、意見のまとまらないクレムリンは対応ができず見過ごすことに。
それが原因となり連邦保安局長官のプーチンが大統領の後継者兼首相に任命する。
プーチンは同年8月から各地で起きたアパート爆破事件を根拠に、「北コーカサスにおける対テロ作戦」の開始を命じ、第二次チェチェン戦争を始めることを認めた。
2000年に大統領に就任すると「強いロシア」や「鉄の爪」を持つイメージ強化の手段として戦争を最大限に利用することになる。

この2000年を境にそれまであった住民間のお互いを助け合うという意識も1996年時点ですでに死者が20万人。
クレムリン(連邦軍)がチェチェンの氏族(テイプ)の利害関係を利用しようとしたところから見通しの立たない泥沼の内戦になった。
1997年第二代大統領のマスハードフ(ドゥダーエフ派)がエリツィンと平和条約を結ぶが、当時チェチェンの指導権を握りつつあった第一次チェチェン戦争の野戦司令官たちが政治的エリートになれそうにないことに気づき、彼らの権力争いが内戦への引き金となる。
1998年、彼らによるマスハードフの暗殺未遂事件が起こり、同時にマスタードフの辞任要求へとつながる。
マスハードフはイスラム法典による統治を導入し、公開処刑などを行うが、混乱はさらに拡大していくことに。
政治機能が停止したところに対し、ワッハーブ(あごひげ)派と呼ばれるイスラム急進派の暗躍が始まる。
1999年、シャミーリ・バサーエフとハッターブ派の一人である野戦司令官の率いる部隊がダゲスタン共和国に行軍するが、意見のまとまらないクレムリンは対応ができず見過ごすことに。
それが原因となり連邦保安局長官のプーチンが大統領の後継者兼首相に任命する。
プーチンは同年8月から各地で起きたアパート爆破事件を根拠に、「北コーカサスにおける対テロ作戦」の開始を命じ、第二次チェチェン戦争を始めることを認めた。
2000年に大統領に就任すると「強いロシア」や「鉄の爪」を持つイメージ強化の手段として戦争を最大限に利用することになる。

この2000年を境にそれまであった住民間のお互いを助け合うという意識も薄れはじめる。
泥棒や略奪、麻薬患者の蔓延、連邦軍へサービスする売春婦の急増、未成年者の奴隷売買が横行し、難民たちを助けようとせず厄介者扱いしている。
対テロで被害を受けた人への人道支援は、1年で4回程度。
1回につき3日分程度で、1日15ルーブルの計算という少額。

武装勢力が立てこもるドゥバ・ユルトは空爆により壊滅し、住民は砲弾の飛び交う中隣町のチリ・ユルトへと逃げ出す。
武装集団が山へ移った後も、ドゥバ・ユルトの住居は連邦軍により焼き尽くされ略奪の対象となる。
住民の心の支えとなるはずの戻る場所も廃墟と化し消え去る。
これを中央に報告する唯一の資料にもチェチェンの英雄に対して何ら効力を持つことなく葬られる。

バサーエフの手下と%E
スポンサーサイト

2004.09.28 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://slowfish.blog9.fc2.com/tb.php/380-3d0cbff7

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。