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外務省が消した日本人―南米移民の半世紀

若槻 泰雄

戦後の貧困と人口増への対処策として行われた南米への移住政策。
もともと世界の敵であった日本人を移民として受け入れるところなどなく、普通に暮らせるような土地への移住は所詮無理な話だった。
それでも移住を押し進めざるを得ない事情が敗戦国の日本にはあった。
しかし、それを進める国の役人に許しがたい問題があった。
入植先の調査もまともに行わず、移民先として不適切であることがわかった場合にも入植を強行した。
移住前に提示されていた条件もことごとく無視していく。
つまり当時行われたことは移民ではなく棄民政策を行ったという紛れもない事実。
国にだまされ捨てられるようにして国を離れた人々への支援など望むべくもなかった。
現地の人々の置かれた状況は死を宣告されたも同然だったようだ。
「絶望」という言葉があるけれど、これほど生きる望みを奪われた状況はそうそうないのでは。
初めて生きながらにして感じる「絶望」という言葉の意味を知ったような気がする。
入植先では、まさに捨てられたということばがそのまま当てはまるような生活が待っていた。
あるといわれた道路はなく、道と言えるものは丸太を並べたもので、木のないところは沼地でひざまで泥の下に沈む。
たどり着いた宿舎の屋根は穴だらけの上、到着直後から半月も止まない雨季。
持ち込んだ食料もすべて溶けて流れる始末。
森林を人手だけで切り開いてつくった作物も降り続く雨と洪水ですべて流される。
多少採れた作物もそれを買う人が周辺にまったくいない。
当然子供が学ぶ学校もなく、空腹を抱えたまま退化していくような生活。
本書には詳しく書かれていないが、アマゾンの上流部に入植した人たちは、さらに厳しい現実が待っていたようだ。
詐欺にだまされ私財をすべて奪われた上、ジャングル投げ出されたような生活。
当然まともな医者などいないから健康を害することはそのまま死につながる。
移住にあたって家族や親戚を説得した父親、お父さんの言葉を信じてついてきた家族。
そこには不満をぶつける役人もなく、死を待つような生活があるだけだった。
努力の一切が報われない厳しい自然。

著者は移住の仕事を志して「財団法人日本海外協会連合(海協連)」に農林中央金庫から転職した人。
ところがこの海協連がどうしようもないところだったと気づいたのが仕事を始めてまもなく。
ボリビアのサンファンに集団移住地を築いたものの多くの入植地は支援もないまま霧散していった。
この本は国の側にいた人が書いたものなので、入植者の追い込まれていた実態のすべてが書ききれていないような感じも持つ。
その場におかれ家族を次々と失った人の気持ちを推し量るには知らないことがまだまだ多い気がする。
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2004.10.03 | 本  | トラックバック(0) | コメント(1) |

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2017.10.22 15:37  | # [ 編集 ]












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