上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

amazonへ

久世 光彦

この本を読むと靖国問題の論点が整理されていいみたい。
右翼か左翼かといわれれば左翼の本といわれるだろう。
ただ、問題はそこにあるのでなく、もっと本質的な問題にある。
靖国神社は国家の祭祀という形で、宗教を超越した国家神道に従属させる仕組みという指摘には強く共感する。
死者との共生感といいながらもそこに民間人を祀ることはない。
それを境内の鎮霊社にとどめることで問題を濁す。
戦争への動員マシーン、もしくは正当化の方便としての靖国神社のあり方に疑問を感ぜざるを得ない。
A級戦犯を切り離しスケープゴードにすることによる問題の解決はないのだろう。
隣国もそれを期待していないことは明白。
他国へ媚諂うためではなく、自国の問題としてきちんと精査すべきときかと思う。
贖罪どころか、無意識のうちに戦争を肯定する構造になっているのではないだろうか。
こんなところで日本人のナショナリズム堅持しようとすることもむなしい話。
それで揺らぐようなナショナリズムならさほどたいしたものではないだろう。
せいぜい、罪もない多くの国民を巻き込んだ戦争をするのが関の山。
戦没者への弔いだと単純化して済まそうとする小泉首相には、問題の本質を隠そうとする意図が見え隠れする。
本書で提案されているように、何事にも制約されずに死者を自由に弔う国立の追悼施設を別途定めるというのが一番よい方法なのだろう。
ただ、天皇の下に命を捧げたのだから皇居の横で祀ってほしいという気持ちもわからなくもない。
それほどまでに天皇の名の下にすべてを捧げた時代があったということか。
それを断ち切れるときに初めて日本の戦後が始まるのだろう。

文春でも靖国参拝を取り上げた論争がされていたので、そちらも読んでみようと思う。
スポンサーサイト

2005.08.09 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://slowfish.blog9.fc2.com/tb.php/334-a649aef4

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。