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谷沢 永一

著者が読んだものをはじめ、聞いたこと、見たことなどに論評していった『紙つぶて』。それにさらにコメントをつけ加えるという念の入れよう。追加されたコメントがもとの論評と同じぐらいの分量になっているのがおもしろい。中には原文とあまり関係なくなっているものもあって、著者が思考を楽しむための材料にすぎなくなっているように感じるものもある。自作に対する思い入れが相当強い人なのだろう。ごく稀に反省コメントまであるがあるのはおかしい。
1000ページもあるこの本、実は全文を読んだわけではなく、今回は後半のほうを読んでみた。思ったよりも広範囲に話題が広がり、本の内容などにはあまり触れず、著者の思うところを書くためのとっかかりになっているにすぎないという印象さえも。論評というのはそうあるべきものなのだろう。そうでなければなんの思想もないただの本紹介か感想文になってしまうということだろう。
古い時代については知らない人名が次々と現れ、論客としての領域の広さを感じるとともに、自分の無知さ加減にあきれる。論評自体が昭和の記録にもなっているのかもしれないと思うと、時代の重なるものとして少々歯がゆい思いを感じる。
たしかにこの本は「つぶて」というにふさわしい。小さい石を投げる「つぶて」をもじり、評論という紙を投げつけるとしたところがおもしろく、言いえて妙。実際、歯に絹を着せぬ評論は、かなりの論敵をつくることになったのかもしれない。ただ、紙つぶては悪意をもって相手をつぶすことではなく、磨きあう論争を仕掛けるようなものだったのかもしれない。自らが傷を負うことをいとわない潔さがある。たやすく合意せず少しの波紋を起こし議論を尽くすことに使命を感じていたのかもしれない。
残念ながら、私にはこの本を向こうにまわし、議論をするほどの力はありません。少しずつでも教養に磨きをかけたいものです。
いい意味でも悪い意味でも、著者は思い込みの強い自己中心で頑固な人だと思われます。そこが読んでいて子気味よいところですね。ただ、著者が否定する人たちのほうが、私は結構好きだったりするところが複雑。共産主義から保守に転じるも極端に振れるきらいは否めないのかな。保守派御用達書評家ですね。

#空梅雨にしては過ごしやすい 当たり前だけど、よく寝るとよく読める 『カインド・ブルー』を聞きながら\r

[本▼▼▼▼▽]
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2007.06.30 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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