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中島 俊郎

このブログのタイトルにもしている「田園」。一般的な言葉であると同時に、もともとイギリスの牧歌的な風景を特定して使われるものでもあります。
そんなことにも興味があって手に取ったのですが、これが単にきれいに手を入れられた自然についての話かと思いきや、イギリスに深く根ざした旅の文化について書かれたものでびっくり。確かにサブタイトルや帯を見れば一目瞭然なのですが。内容は1780年から1830年あたりの旅が旅行、鉄道によるマスへと変化したツーリズムの変遷を辿るものです。
ただし、この本の侮れないところは、単なるツーリズムで終わることなくイギリス人の文化的な背景にまで話が踏み込んでいるところ。読み進むにつれて教養とはこういうものではと思いはじめます。なんとも言い表しにくい上質な教養書に出会った気分に浸れます。
そもそもツーリズムの発端はギリシャにあった「アルカディア」という牧歌的な理想郷に対する憧れにあったのだとか。これが文化遺産を多く持つイタリアへの裕福な人たちの旅行と置き換えられ、そこで見た絵画(クロード、プッサンなど)をイギリスの自然に見出し、風景を絵を見るように楽しむピクチャレスクという美意識に変わったのだそうです。これにより、湖水地方などの風景を楽しむ特定の場所が名所となったり、そこでワーズワースのように戸外で文化的な活動をする人が現れてきたのだとか。こういう歴史を通じて旅の文化が生まれ、それを通じた教養や感性が養われたということなのだそうです。産業革命と同時に旅はロンドンなどの都市に向かい、牧歌的とはほど遠いスモッグの街が旅行先になっていきました。そこも人工的な<アルカディア>であったわけです。そして、都市の公園にも<アルカディア>の思想が繁栄していったといいます。その後田園に対する思いは、雑誌「カントリー・ライフ」で現代まで営々と伝えられていくことになっています。
今では旅行なんて誰でもするものだし、旅先でスポーツをしたりおいしいものを食べたり、温泉につかったりというのが当たり前になっていますが、旅行が一般に認知されていなかった当時は、歩く移動は物乞として見られたのだそうです。そういう中でも散歩しながら思索する人が現れるなど、今では思いもよらない世界だったようです。
この本を読むと飲み食いではない旅行に出てみたくなります。それもできれば足を使って歩く旅行に醍醐味があるのではと思えてきます。この連休中に少しそんな旅をしてみたいもの。「未知のものを求めて旅立つのに、いつも見出すのは自分自身」とは著者の言葉。名言です。
下記の文は、この本で一番共感したところです。今まで田園という言葉に感じていたものを代弁してくれてるので引用しておきます。

3
イギリスを旅行する人が車窓から田園風景を眺めるとき、心の安らぎを覚える。イギリスにいるのだと。田園には精神的な治癒力があるのを誰よりも知っていたのはイギリス人にほかならない。田園はイギリス人の魂のよりどころである。そして田園が精神力を豊かにする場であることを知り、そこを知的源泉として多くの芸術家が生まれてきた。イギリスの田園は、ラテン詩人ウェルギリウスの『牧歌』のなかでうたわれた理想郷<アルカディア>でもあるのだ。だから田園は精神的慰藉の場であると同時に知的源泉でもある。


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2007.04.28 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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