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2006年は、日本にはじめてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルの生誕500年だったのだそうです。知らなかった。そこでザビエルのおさらい。

免罪符を発行するカトリックに反対するプロテスタント。その宗教戦争の最中、宗教者となることで貴族であった一族の復興を目指したバスク人ザビエル。神学校で清貧と禁欲を目指すイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、私欲を捨て神に仕えることに目覚める。
彼らは教会から戸外に出て、貧しい人たちの癒しや看護、死の看取りなどに無償奉仕する伝道活動を信条とした。これがザビエルも発起人の一人となったイエズス会となる。キリストと同じ質素な生活をよしとしたことがかえって異端のような印象を与えながらも、布教を急いでいた教皇の信任を得ることに成功する。
当時は大航海時代、土地は神のものと思われていたため、国王がそれを手に入れる手段は、航海に布教のための宣教師同行し、教皇の認可を受けるのが唯一の道だった。これにより教皇や国王、イエズス会の思惑がうまく合致した。アジアへの渡航を予定していた宣教師が病気に倒れたことから、急遽代役としてザビエルがインド、アジアへ渡ることに。イグナチオ・デ・ロヨラの教皇への忠誠を示すための苦渋の決断だったという。ザビエルを乗せた船の航海は困難を極め、途中陸上し越冬をしたという。
7年いたインドのゴアでの布教は住民の心をとらえられず失敗、アンジロウという日本人に請われて日本へ渡ることに。日本では、デウスを大日如来と訳すなどの工夫をしてひとつの神を信じるキリスト教を日本へ伝えようとするが、デウスと大日如来の違いがわかると僧侶からの反発を受けることも。それでも火縄銃をはじめとした南蛮貿易に目のない大名の加護を受けることに。ザビエルに続いた宣教師により一時20万人を超えたイエズス会も、海外からの侵略に対する恐れた幕府から抑圧される歴史を歩む。
ザビエルは一度ゴアに帰った後、再び中国での布教のために航海にでるものの広東あたりで病死。その遺体はゴアに運ばれ腐敗することなくミイラとなり、現在も世界遺産の「ボム・ジェズ教会」教会に安置されている。

これほどの苦労をしてまで布教に生涯を捧げた人生に迷いはなかったのだろうか。自分のすべてを神に捧げ、帰路を放棄した伝道の旅はさぞや孤独だったろうとも思う。その心情は当時の本人の記録からも読み取れる。
番組自体はザビエルの人生を追ったものだったけど、ザビエルの人物がいまひとつ見えてこなかったのはどうしてだろう。本人の残した記録も番組内で紹介されているけど、期待した生身のザビエルに触れることができなかった。神のもとでは個が消えてしまうのか、それとも番組の構成力の問題か。
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2007.04.18 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(2) |

こんにちは。
概略ながらザビエルについて勉強になりました。

ところで飯嶋和一さんの「黄金旅風」という小説はご覧になられたでしょうか?

検索したら2005年の本屋大賞の「読むかもしれない本」リストにありましたね。

江戸時代初期、秀忠から家光に移る頃の長崎を舞台にした時代小説ですが、切支丹弾圧の描写などは非常にリアルです。すでに隠れキリシタンとしての長崎庶民の様子が描かれていることからザビエル以後の話として展開されているようです。

だいぶ昔に読んだので細かいことは忘れてしまいましたが、URLは当時のブログです(レビューにも何にもなっていない拙いものですが。。)。
その中のリンク先の「中空庭園」さんのレビューの方がいいです。

ちょっとザビエルから話が逸れて余計なおせっかいかもしれませんが、もし読まれてないのなら記憶の片隅にでも置いてみてください。

失礼しました。

2007.04.21 09:28 URL | junike #GCA3nAmE [ 編集 ]

『黄金旅風』は評判になりましたね。そのうちと思っている間に機を逸してしまいました。
キリシタンの話だったのですね。心に留めておきます。

2007.04.21 20:52 URL | uota #ogz9v/Dw [ 編集 ]












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