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永平寺は言わずと知れた、道元によって開祖された曹洞宗の大本山。
ここに毎年入門する僧侶が100人近くいるのだそうです。入門を許された雲水(行者)たちを1年の四季を通じて追ったドキュメンタリーでした。凛とした空気が画面の隅々まで感じられる張り詰めた映像が印象的です。
4時の起床。煩悩や迷いを取り払うための清掃や読経、座禅はもとより、観光客の対応も彼らの役割。出版物の記事の編集、館内の管理、食事の用意なども作務(仏道修行)とされる。人から布施を受ける托鉢なども、人に生かされていることを悟るために行われる。
こういう生活をもって禁欲というのかどうかはわかりませんが、自らの心に向けて問いかけることをただひたすら求められる修行の厳しさは感じられます。
道元により書かれた「普勧坐禅儀」によると、悟りとは「心身脱落・転迷開悟」の境地、つまり本心そのものを直示し、如何なる教条や信仰を含まず、人間として本来の面目に還帰せしめることを目指すこと。自らを捨て去ったときに、森羅万象(宇宙)とひとつになれるという。この世界を形成しているすべての自然とひとつになれ共生できるということか。
「放てば手に満たれり」、これが欲を捨て去ることとを求める道元の教え。資本主義社会とは相容れない、まったく反するとさえ言える世界感。ある年齢を境に、誰しもが欲を満たされない現実を受け入れるときがくるものなのだろうか。過剰な欲を持っているのが人間だけだとしたら、それがたして正しいのか否かはいまだにわかりません。
道教を知る上で、永平寺で実践されていることを知るのはとても参考になりました。これは参拝してもわからないことかもしれませんね。
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2007.04.08 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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