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イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン (堤江実訳)

ルワンダの忌わしい事件は、いつまでも記憶から消えることはないと思います。宗主国ベルギーの都合で重用された少数民族ツチ。社会組織から排除された多数民族フツ。その結果として意識されることのなかった民族間の溝が生まれる、パレスチナやユダヤ問題とまったく同じ構造。貧富の問題や身分格差の問題が憎しみや怒りに拍車をかけていく。
作為的に作られた関係が憎悪を貯め込み、自己保身だけのための殺戮へと続く。生存本能が他者を排斥するのは生きるものの宿命なのだろうか。動物のすべてがそうなのだろうか。そんな考えがずっと頭を離れない。
この本は、中学生でも読めるよな文章で書かれています。著者の知性や生き方からすれば、意図的になされたものなのでしょうね。平易であればこそ、史実を知らない人にも理解しやすく、より多くの人に本質的な問題に目を向ける機械をつくれるのだと思います。そこにも著者の持つやさしさが感じられます。
敬虔なキリスト教徒であることもあって、「祈ること」、「許すこと」が全編に一貫して流れています。そこでベルギーの問題、フランス軍、国連の問題、RPFツチ解放軍、インテラハムエ(フツ)がどうだったかを語ることに意味はありません。虐殺の詳細を知ることにも同じことが言えます。それらは結果でしかないのだと思います。結果として割り切れるかどうかが一番大切なところなのかもしれません。
3ヶ月狭いトイレに10人近い人と身を潜め、フランス軍に救われたときに、敵のフツの名前を言えばみつけて殺してあげると言われることに何の価値をみつけられるでしょうか。身を守るため、家族の恨みを晴らすため、勝利の確信を得るため...それらのために名を告げることを拒む勇気こそが求められるものだのだと思います。ただ、言うは易しく、行うは難しです。自分の子を殺された親が、その罪を憎んでも犯人を人として許せるかどうか。とてもむずかしい話です。
人の心に巣くう悪魔という言葉が何度か出てきますが、まさに外的な環境ではなく自分自身の心の持ちようの問題。キリストに祈ることは、もう一人の自分を話し合うことなのかもしれません。
この本に書かれているのは、一人の女性の「憎むこと」と「許すこと」の葛藤の物語です。
相手を排除する人と相手を受け入れる人は常に並存するというのが、読み終わって思う結論です。善悪の両方の共存する世界自体を理解できなければ許すことさえできなくなってしまうということなのだと思います。悪を許すとはそういうことだと思います。

[本▼▼▼▼▽大盛]
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2007.03.18 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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