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ウラジーミル ナボコフ(若島正訳)

『テヘランでロリータを読む』からのつながりで読んでみました。タイミングよく新訳で文庫で発売されたのもよいきっかけになりました。
「ロリータ」という言葉ばかりが一般化し、小説そのものはどういうものかまったく知らないという人が多いと思いますが、私もその一人で、中世のような時代を舞台にした少女趣味のエロチックで隠微な世界を想像していました。ところがこれが大きな勘違い。舞台はヨーロッパからの渡米というものの20世紀の近いアメリカだし、少女ドロレス・ヘイズと男は血のつながりこそないものの父子関係。少女のほうの父親に対する態度があきらかに露骨で、ハンバートのほうが振り回されているようでさえありました。世にある思春期の娘を前にした父親そのもの。10代の女性が成長する様を美しいと思うのはとりわけ不思議でもないとさえ感じました。
というわけで、かなり挑戦的な文学的価値を感じつつも、あまりに現実的な展開に期待をはぐらかされたようなところも。思春期の少女(ニンフェット)とそれに向けた少々危ない愛情を掘り下げたと言えばそうなのですが、なかなか腑に落ちるといえないところがつらい。父娘の本質をついているともいえなくもないのですけどねぇ。過剰な妄想を持って読むとはずれるし、純文学として読むとありきたりに感じるというなんとも中途半端な読後感になってしまいました。
前半のヨーロッパのほうはよかったのですが、アメリカに渡ってからからはロード・ノベルさながらの展開。こういう小説だったのですね。
翻訳が新訳ということで読みやすくなったのか、通俗的になったのかよくわからないところもあります。この本を読む人が少ないというのも、「ロリータ」という言葉の発する罪悪感や嫌悪感のようなものによるところもあると思いますが、実際読んでみると意外に本来の価値をつかみにくい本というのが読み終わっての印象でした。

[本▼▼▼▼▽]
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2007.02.12 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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