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桂 文我

著者は桂枝雀の弟子で、枝雀が言ったという師匠の米朝のように集めた資料をもとに歴史を熟知して本を書ける噺家になりなさいという言葉を受けたのだそうです。
落語の期限から、その盛衰、時代ごとの流行、有名噺家の噺、海外からの見方などが紹介されていて、思った以上に楽しい本になっています。落語に詳しい人には物足りないところもあるかもしれませんが、落語文化を基礎から知りたいと言う向きの期待は十分満たしてくれるものです。この本を読むと昔の落語家の話を聞いてみたくなります。録音が残されているものは限られていますが、少し以前の噺家にも目を向けてみようという気持ちになりました。

300年前に露の五郎兵衛が京都で辻噺を始める(京都落語)
少し遅れ、初代米沢彦八が大阪で辻噺(大阪落語)
関西で噺を知ったと思われる鹿野武左衛門が江戸で同時期に始める
プロによる寄席興行は1794年頃に大阪の初代桂文治から始まる
江戸では4人の素人噺家が寄席を始める(1798年)が、山生亭花楽(のちの初代三笑亭花楽)だけがプロとなり興行の仕組みを作り上げる
1800年代の前半には、桂に加え、笑福亭、立川、林家などの名門四派が生まれる
幕末から明治にかけては、桂、笑福亭、林家が主流となり、なかでも初代桂文治は「三十石夢の通い路」を完成させ十八番とし人気を博す。
四天王といわれた文三、文都、文團次、文之助を弟子として育て、引き継いだ文三も二代目文三、初代桂枝雀、初代桂枝太郎を輩出する。
江戸では三笑亭花楽で人気を集めた「三題噺」の会が、鳴り物入り芝居噺で一世を風靡した三遊亭圓朝を輩出する。
奇を衒った鳴り物入りを三代目の三遊亭圓生に譲ると噺本来の世界に戻り創作を極める。
明治の異色噺家初代快楽亭ブラックの力による日本初のレコード吹き込み実現。
明治の珍芸四天王と呼ばれた『ヘラヘラ踊り』の初代三遊亭萬橘、『ステテコ踊り』の初代三遊亭圓遊、『郭巨の釜堀り』の四代目立川談志、『ラッパ』の四代目橘家圓太郎
夏目漱石にナンセンス、ユーモアを教えた三遊亭圓遊
明治末期には上方の低迷た東京での日露戦争不況もあり東京の噺家が大阪に流れ込み、上方落語が東京へ移植される
大正末期には月給契約制で生活を安定させた吉本興行が勢力を拡大し、初代桂春團次(実は二代目)や横山エンタツ・花菱アチャコなどの人気者を生み出す
東京では関東大震災まで「第一次・落語研究会」が毎月開催され、三代目蝶花楼馬楽、初代柳家小せんが人気を博す。
「小せん学校」で学んだ八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、三代目三遊亭金馬、六代目春風亭柳橋が昭和の落語を牽引する。
とくに八代目桂文楽は芸、人望、受賞暦、政治力などで秀でた噺家となる。
東京では大阪の吉本のような興行主ではなく、芸人があつまって月給制をつくり、離合集散の後の第二次大戦後は「東京落語会(のちの落語協会)」と「日本芸術協会(のちの落語芸術協会)」にまとまる。
東京落語会の会長であった八代目桂文楽の後を五代目古今亭志ん生が継ぐ。
多方面に活躍した柳家金語楼は500もの作品を残し、震災で途絶えていた「落語研究会」を再興する。
発起人は、古典落語の八代目桂文治、六代目林家正蔵、五代目三遊亭圓生、四代目蝶花楼馬楽(四代目柳家小さん)、八代目桂文楽など。
五代目三遊亭圓生は人間国宝ともありえた実力を発揮。
新作落語では、三代目三遊亭歌笑や柳亭(りゅうてい)痴楽などの活躍も。
同じころの上方落語は、初代桂春団次を失って漫才に押されていた低迷していた上方落語界は、五代目笑福亭松鶴が継承役となり、次の世代である、六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團次、五代目桂文枝へと繋ぐ。

[本▼▼▼▼]
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2007.01.20 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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