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アーザル ナフィーシー

なぜかエントリーの筆の進まないまま1週間。こういう文学部的なムードが性に合わないのかもしれません。
そんなことを感じながらも、小説ってなんだろうということをいろいろ考えてしまいました。ここに書かれている女性たちのように小説と向き合えない自分をどう考えればいいのか、正直よくわかりません。置かれている環境があまりに幸せすぎて小説のもつ価値すら感じなくなっているのかもしれないという疑念も頭をよぎります。これはとても不幸なことなのではないかと。
テヘランで『ロリータ』を読むことにより自分たちの立場を考えるなんて言っている場合じゃないです。そんなことにすがるほど抑圧されている世界なんてとてもじゃないけど理解できません。理解できるなんていうことを軽々しく言えるものではありません。子供だろうが女性だろうが関係なく”処刑”されていく日常。イスラム世界の女性蔑視としか思えない意味不明な法律の数々。9歳で結婚できるというのはどういうことなのでしょう。そこで本を読むことに生きる望みを託すことの驚き。これはただただ驚くばかりです。
宗教が政治を支配しているイラン。にもかかわらず中東で最も不熱心なイスラム教徒といわれるイラン。驚くほど厳格な宗教が建前となっている国の実態は悲しすぎます。
登場人物たちは、『ロリータ(ナボコフ)』、『華麗なるギャツビー(フィッツジェラルド)』、『デイジー・ミラー(ヘンリー・ジェイムズ)』、『高慢と偏見(オースティン)』を読み、支配や勇気、自尊心、幸福などを考えます。自ら置かれた状況とすり合わせ、かみ締めるかのように。
小説によっていったい何が得られるのかについてあらためて考えさせられました。他者の意見や経験を本を通じて体験することにどれほどの意味があるのか。この当たり前に思うことの奥深さは計り知れないものなのかもしれません。チャドルで外界から閉ざされ、目を伏せる生活を強いられても想像する自由を奪い去ることはできない。
イスラム革命、イラン・イラク戦争、クルド人地区の化学兵器使用。これらが起こったときのイランの実情をリアルに感じられる小説でもありありました。

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小説は寓意ではありません。それはもうひとつの世界の官能的な体験なのです。

[本▼▼▼▼▽汁だく]
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2006.11.02 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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