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原田 信男

読み終えて感じるのは、コメは日本にとって誇るべき食文化だったのだろうかということ。いみじくもあとがきに、『コメを選ばされた日本の歴史』というタイトル案があった話に触れられていて、さもありなんと思いました。
日本で好んで食されるジャポニカ米はもともと中国長江の下流域を起源とされ、最近の研究では縄文時代にも稲を栽培していた形跡がみられるそうです。柳田國男は稲作を南からの伝播としましたが、陸稲栽培ではなく水田栽培に限ると朝鮮から入ってきたというのが通説となっているとか。安定した水田稲作技術のおかげもあって渡来人とされる弥生人は社会進化と人口増加をはたします。狩猟民族よりも農耕民族のほうが好戦的だそうで殺傷力を有するものも弥生時代から作られ始めたそうです。目に見える富としての農耕(物)が抗争につながるようで、アイヌなどの生活には見られないものだったというのも興味深い話です。普通、逆のように感じてしまいますね。
天界から使者を使い稲を人間界に伝えたというアマテラスを太陽神として崇られ、人神の祖神武天皇がその系譜とされて以来、稲作に関わる国家最高の司祭者は天皇ということになったそうです。新嘗祭、大嘗祭という形をとって天皇への服従が制度化されたのだとか。天皇の権威が落ちたされる中世においても祭祀者としての天皇の地位は保たれたのだそうです。
神聖な米に対して、肉が穢れたものとされた歴史も興味深いものです。中世にはコメ以外の仕事に携わるものを山穢(ヤマガツ)とし賎視した歴史なども紹介されています。穢れの対極にコメがあったという話はおもしろいですね。言われて見れば、米を神の死後に生れたものとし、舎利(しゃり)などと呼ばれるあたりにも、普通のものではなく神聖な特別なものとしての意識があってのことなのだと思います。
当然のこと、経済的な価値基準もコメに求められ、石高制も実際の米の取れ高ではなく、あくまで換算値として使われたといいます。荘園制度を廃止した秀吉による太閤地検は、江戸幕府に引き継がれ石高制の社会を確立することとなりました。コメは常に支配者側の制度を担うものであったわけです。
日本がアジアを侵略したとき各地につくられた神社にもアマテラスオオミカミが祀られたといいます。支配層による収奪・管理は近代の戦時下においても食料管理法のもとで続き、コメ不足が庶民を苦しめたのは周知の通りです。白米がふんだんに食べられるようになったのはここ50年ほどのことで。もともと”力”とも呼ばれるほど栄養価の高い米もビタミンB1の不足する白米の偏重が脚気につながったという情けない話も。
こうしてみていくと著者が言うところの、日本は米食民ではなく米食悲願民だというのもうなずける話です。自民党が農家を支持基盤としているのも何か因縁のようなものさえ感じてしまいます。1993年のコメ輸入の部分開放は歴史に残ることなのかもしれません。
今、米からの呪縛から解き放たれようとしているのかもしれないと思うと、単なる西洋化だ食文化の変化と言われる以上に、何か感慨深いものも感じてしまいます。
いい意味で期待を裏切られた、民俗学寄りの好著でした。

<覚え>
『稲を選んだ日本人』坪井洋文

[本▼▼▼▼▽大盛]
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2006.10.29 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












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