上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

マグダラのマリア

岡田 温司

「11分間」を読んでどうしても知りたくなったマグダラのマリアのことを書いた本が偶然新刊で出ました。
こういう偶然ってよくあるのですが、興味を持っていると自然と目にとまるということでしょうか。

イエスによって回心した罪深い女性、聖女にして娼婦であるとされるマグダラのマリア。
西欧においては、聖母マリアとエヴァに並ぶ有名人。
どうもこの女性は最初から固定されていたものではなく、ジェンダー間の葛藤の産物であったということのようです。

もともと1世紀に成立したマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによって書かれた4つの福音書の中で、キリストの磔刑、埋葬、復活の各場面に登場していた女性。
ただ、この時点では罪や悔い改めといったテーマには直接関係していなかったそうです。
それを教皇大グレゴリウスが罪を犯した女性としての解釈上の加工をしたのだと。
ルカの「罪深い女」とラザロとマルタの姉妹であるベタニアのマリアはマグダラのマリアその人であるとしてしまったわけです。
「罪深い女性」とは、涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、その足に口づけをして、みずからの罪を悔い改めようとした女性。
ベタニアのマリアは、イエスにその兄弟ラザロを生き返らせてもらった女性。イエスの足に香油を塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐったことから「罪深き女性」と同一であるとの論法をとったそうです。
そもそも聖書の記述は人為的に構成されたものでしょうから、どんな解釈をしてもいいわけですが、周到な関連付けには恐れ入ります。
こうしてマリアは罪人たちの悔い改めと希望の規範となったというわけです。
さらに娼婦とされたのは女性の罪をステレオタイプでみただけであるとの説明がされています。
これはちょっと興ざめですね。
こうなるとマグダラのマリアの神秘性もどこへやら。
さらに隠修士伝、プロバンスの伝承なども組み込まれ13世紀にドミニコ会修道士のヤコブ・デ・ウォラギネによって書かれた「黄金伝説」により、その後の美術などに影響を与える「マグダラの聖女マリア」像が完成されることになったのだとか。
こうしてマリアは告解と悔悛の典型的なモデルとして偶像アイドルの地位を確立したわけですね。
清貧と謙譲と献身の聖者フランチェスコなどとともに。
説教師がこの偶像アイドルを使って宣教したり、自分をマリアに置きかえて描かせるものまで出てきたというわけです。
まさにマグダラのマリアは人為的につくられた最高に商品価値のあるキャラクターのひとつと言えます。
それが、今のキリスト教文化の中において、あらゆる形で再生産されていると言えるのでしょう。
それにしても、あとがきにある関連作品の多いことったらありません。
最近の映画「パッション」などは当然としても、「マレーナ」や「マグダレンの祈り」など枚挙にいとまがないですね。
古典においても「ヴヴァリー婦人」やゾラの「ナナ」、トルストイの「アンナ・カレリーナ」、「復活」などなど数え上げればきりがないようです。
言われてみれば思い当たるものはいくらでもありそうです。
西欧文明や文化、芸術を楽しむうえで欠くことのできないキリスト教。
マグダラのマリアをちょっと知っただけでも読書や映画鑑賞にこれまでにない楽しみがもてそうな気がしてきました。
私にとっては「マグダラのマリア」の出会いは、海外の本、映画を見る上で得がたい財産になってくれそうです。
スポンサーサイト

2005.02.25 | 本  | トラックバック(0) | コメント(0) |












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://slowfish.blog9.fc2.com/tb.php/115-96cf1e0e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。