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村松 友視

村松友視氏が中央公論の編集者だったころ、幸田文さんと仕事上の交友が始まったのだそうだです。
たまたま自宅に行ったとき目にとまった千代紙を張ったマッチ箱をもらって帰り、その後訪問するたびにマッチ箱を用意してくれていたのだとか。
そんなところに幸田文さんの人柄を感じ、この本のタイトルとしたということのようです。
内容は、実際の幸田文さんをよく知る著者が、作品と人を結び付けていくというもの。
それほど手の混んだ本というわけではないのですが、幸田文さんの人柄を知るにはうってつけの1冊だと思います。
幸田文さんの本を読まずして、こういう本を読むのもどうかと思いましたが、彼女の生き方自体がとても魅力的なこともあり十分楽しめました。
一人の作家へのオマージュとして、しっとりとした味わいを得られるいい本です。

父幸田露伴に望まれていない女子として生まれ、できる姉との違いを感じた文さんは、自分自身に”欠ける人間像”をみていたようです。
母幾美さんの死後は、継母八代と父露伴の態度に3人の”空無”な関係を感じていたといいます。
さらに、幼くして亡くなった姉歌や弟成豊への思いを、初期の作品『みそっかす』、『あとみよそわか』、『おとうと』などから読み取っています。
晩年、安倍峠に楓を見に行った途中に、自らの生涯をくくるテーマとなった<崩れ>を見たのだそうです。
”弱いところに起こる崩れ”に自分の人生を重ねたのですね。

作品を追いながら、幸田文の人となりを探っていくのですが、作家が作家を見ていることや、著者の幸田文さんへの思い入れもあってか、思わず引き込まれてしまいました。
作家の作品と生涯をこういうふうに読ませるのも、作家ならではの業だとえらく感心してしました。
最後に、著者がマッチの材料となる泥の木の話をするときには、思いがけず至福の瞬間を得ることができました。
こういう終わり方ってうまいなぁと思います。
この本を読んで、またひとつ新しい文学の形を知り、読んでみたい作家に出会えました。
今にして思えば、私が幸田文さんを知ったのは『木』や『崩れ』を発表しているころで、すでに晩年に差し掛かっていました。
当時は、彼女がどういう経緯をもってその境地に至ったのかがわかりませんでしたが、この本を読んでなにかすっきりした気分になりました。
自分の年齢も、そろそろ幸田文さんの本を読むのにいいころあいになってきたように感じます。
そろそろ幸田文の世界に入ってみようかと思います。
なつかしく美しい日本人の心の持ちようや生き方、言葉づかいなどに触れられそうな気もします。

[本▼▼▼▽▽特盛]
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2005.09.18 | 本  | トラックバック(1) | コメント(6) |