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池谷薫

文化大革命のあと農村部を助けるという名目で、都市の青少年を労働のために農村に送り込む下放政策が行われた。そこでの労働に耐えられない多くの学生が、反革命分子として人間扱いをされない収容所で矯正を受けたという。農村部を助けるはずの革命政策が、結果として人民を虐待することになった。
そんな中、下放先の延安で禁止されていた交際から子供が生まれることもあり、多くは中絶させられることになったという。
このドキュメンタリーに出てくる海霞(ハイシア)は、中絶を免れて生を受けたものの、幹部からの追求を恐れた両親に置き去りにされ、始末を頼まれた女性の養女として育てられた27歳の女性。彼女の育った延安は毛沢東が抗日のために支持を出した場所として聖地になっていることが皮肉。
3人の養女に育てられた彼女は20年以上かかって北京に父親がいることを知るが、実の父親に生活力はなく、その妻も子供のいた事実を知って悲しむ。海霞の母親のほうも見つかるが、夫に子供がいることを知らせていないこともあり会うことを拒む。時代に翻弄された人たちの傷跡が今も深く残る。海霞を支援する下放の仲間たちにも、自らの傷を再び開くような苦しさを感じる。
海霞を取り巻く人たちを通じて、下放政策の実態をより具体的に知ることができた。多くの本を読むよりも体験した人たちの話を聞くことに勝るものはない。
歴史に奪われてしまった自分の存在自体をなんとか取り戻したいと思う気持ちが全編にあふれているとてもすばらしいドキュメンタリーでした。インターネットでみると、これは映画として公開されていたものだそうで、そう思ってみても一級品としての価値を感じる作品でした。
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2007.04.28 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(0) |

2006年は、日本にはじめてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルの生誕500年だったのだそうです。知らなかった。そこでザビエルのおさらい。

免罪符を発行するカトリックに反対するプロテスタント。その宗教戦争の最中、宗教者となることで貴族であった一族の復興を目指したバスク人ザビエル。神学校で清貧と禁欲を目指すイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、私欲を捨て神に仕えることに目覚める。
彼らは教会から戸外に出て、貧しい人たちの癒しや看護、死の看取りなどに無償奉仕する伝道活動を信条とした。これがザビエルも発起人の一人となったイエズス会となる。キリストと同じ質素な生活をよしとしたことがかえって異端のような印象を与えながらも、布教を急いでいた教皇の信任を得ることに成功する。
当時は大航海時代、土地は神のものと思われていたため、国王がそれを手に入れる手段は、航海に布教のための宣教師同行し、教皇の認可を受けるのが唯一の道だった。これにより教皇や国王、イエズス会の思惑がうまく合致した。アジアへの渡航を予定していた宣教師が病気に倒れたことから、急遽代役としてザビエルがインド、アジアへ渡ることに。イグナチオ・デ・ロヨラの教皇への忠誠を示すための苦渋の決断だったという。ザビエルを乗せた船の航海は困難を極め、途中陸上し越冬をしたという。
7年いたインドのゴアでの布教は住民の心をとらえられず失敗、アンジロウという日本人に請われて日本へ渡ることに。日本では、デウスを大日如来と訳すなどの工夫をしてひとつの神を信じるキリスト教を日本へ伝えようとするが、デウスと大日如来の違いがわかると僧侶からの反発を受けることも。それでも火縄銃をはじめとした南蛮貿易に目のない大名の加護を受けることに。ザビエルに続いた宣教師により一時20万人を超えたイエズス会も、海外からの侵略に対する恐れた幕府から抑圧される歴史を歩む。
ザビエルは一度ゴアに帰った後、再び中国での布教のために航海にでるものの広東あたりで病死。その遺体はゴアに運ばれ腐敗することなくミイラとなり、現在も世界遺産の「ボム・ジェズ教会」教会に安置されている。

これほどの苦労をしてまで布教に生涯を捧げた人生に迷いはなかったのだろうか。自分のすべてを神に捧げ、帰路を放棄した伝道の旅はさぞや孤独だったろうとも思う。その心情は当時の本人の記録からも読み取れる。
番組自体はザビエルの人生を追ったものだったけど、ザビエルの人物がいまひとつ見えてこなかったのはどうしてだろう。本人の残した記録も番組内で紹介されているけど、期待した生身のザビエルに触れることができなかった。神のもとでは個が消えてしまうのか、それとも番組の構成力の問題か。

2007.04.18 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(2) |

2005年9月に放映された番組の再放送。
のど元すぎればなんとやら。これがいけないと気づかされます。アメリカの行動を振り返って検証すれば何が問題だったかが一目瞭然。
見ているうちに苛立ちがどんどん増してきます。軍産複合体という得たいの知れないものが、アメリカを動かし、世界に危害を加え続けていることの恐ろしさ。問題がここまで深刻だったとは、ほんと絶望的ですね。
自然環境破壊を云々言う前にこちらのほうをなんとかしてほしい。
これから先、アメリカを襲うテロが増えることはあっても、少なくなることはないと確信しました。アメリカが生み出した憎悪を解消する方法もないし、アメリカをとどめる方法もない。武力報復のスパイラルは永遠と続くのでしょうか。
アイゼンハワーが大統領職を離れるときの演説で語られた軍産複合体への警鐘に、アメリカは今こそ耳を傾けるべきなのだと思います。

軍に入れば生活が安定するという妄想。志願兵制をとって入隊したら文句などいっさい言わせない軍隊。命令に従うのみの軍隊。人の見えない攻撃。
トンキン湾事件をはじめとして、軍事行動の理由としたものにアメリカ国民をだましていないものなどひとつもない事実。
死体を報道で見せないなどの徹底した報道管制。
自由と民主主義の旗のもとに、アメリカ製品の販売と資源の獲得を目指す戦争。
戦争をするのは自由を守るためと信じて疑わない国民。
国益より企業の利益が重視されるようになっている本末転倒の資本主義世界。
ロッキード・マーチン社、マグダネルダグラス、ボーイングなどと政治家の癒着。
ハリバートンとその子会社KBRとチェイニーの密接な関係。
サービス業までが軍産複合体に含まれるようになっている現実。
戦争を単なる費用対効果でとらえる価値基準。

アメリカの軍事力で大きな犠牲を強いられた人々が、次々とアメリカに報復を仕掛ける時代。軍事拡大のみに国の存在価値を置かざる得ない国の未来は暗いものとなると思います。

2007.03.28 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(0) |

京都南座顔見世大歌舞伎から「義経千本桜」と「雁のたより」の中継録画が特集番組として放送されました。中村勘九郎改め中村勘三郎の襲名披露の締めくくり興行として行われたもので「義経千本桜」は「道行初音旅」と「河連法眼館」。
さすがに人気歌舞伎だけあってなかなか見ごたえのあるものでした。歌舞伎の様式美のすばらしさに今更ながら気づかされました。
どこが鑑賞ポイントもわからぬままに見ましたが、勘三郎の愛嬌のいい源九郎狐の様子がとくに印象的でした。
桜の時期に吉野を思いながら鑑賞するのにもちょうどいい歌舞伎ですね。
今夜のハイビジョン特集「パリ・オペラ座の弁慶(勧進帳)」公演中継も楽しみです。

義経千本桜

<覚え>
あらすじで読む名作歌舞伎50
かぶき手帖
歌舞伎美人

2007.03.25 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「その時歴史は変わった」で柳田國男の『遠野物語』が扱われました。日本の民俗学を始まりとなった『遠野物語』を題材に柳田國男の生き様を紹介する内容でした。
『遠野物語』の冒頭に記されている「そのとき外国にある人に呈す」の外国にある人とは明治期の近代化に勤しむ全日本人に向けられたメッセージだったのだそうです。
『古事記の起源』同様、時代の節目にあって積み上げられた文化に目をむけ、体制や変化にすべてをゆだねることなく保持しようとする姿勢は変化の時代にあっては忘れてはならない視点なのだという思いを新たにします。
学生時代に伊良湖岬で拾った椰子の実の記憶が晩年の「海上の道」に結実したといいます。日本の起源はどこにあるかという問いに対して沖縄を示したわけですが、奇しくもその出版は対日講和条約であるサンフランシスコ平和条約発行の年と重ります。沖縄説の成否は別として、サンフランシスコ平和条約の第三条によって沖縄・奄美を含む北緯二九度以南の施政権が米国に委ねられたことを考えると柳田國男の「海上の道」に対する思いがいかほどであったか感じ入るものがありますね。単なる史実の検証だけではない民族の誇りのようなものを感じさえします。
民俗学の楽しみがまた少し増えたいい番組でした。

2007.03.04 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(0) |

i-PodG5購入を機会にテレビのドキュメンタリーについても少し書いてみようと思います。以前からNHKのハイビジュンを中心にドキュメントものを録りためているのですが、なかなか侮れないいい番組が多くて録りためています。教養・ドキュメンタリー系が多くなると思いますが、気が向いたらお付き合いください。

プッチーニの『蝶々夫人』の初公演から100周年を記念して、「マダム・バタフライ~オペラ“蝶々夫人” 100年目の追想」という番組がNHKハイビジョン特集で放映されました。
『蝶々夫人』の生まれた背景や作られた経緯などを追いながら、グラバー邸で蝶々夫人の再現を試みたものでした。
そもそも原作がジャポニズムの流行に根ざしてアメリカ人のジョン・ルーサー・ロングによって書かれたものだったそうで、その本人は日本への渡航経験がなかったのだそうです。たまたま義理の兄アーヴィン・コレルが宣教師として日本に滞在したことから、その姉を通じて日本の話を聞いていたようで、その姉の記録にも蝶々夫人と思われる女性の記述が残されていたとのこと。実在したかどうかは別にしても、それに近い境遇の女性がいたことは間違いないようです。
当時はお金の代償に外国人の一時妻となる女性も多く、海外では『蝶々夫人』も人形のような女性を描いているとか人種差別的な内容だと見られることも多いそうですが、一途な姿に意志の強い女性像を描いているとの見方もできるもので、そんなところも人気の秘密なのかもしれないですね。史実を踏まえて見ると『蝶々夫人』も意味深いものになりそうです。
本題とははずれますが、レポーター役の森泉の祖母森英恵の蝶柄が蝶々夫人と関係していたとは知りませんでした。

2007.03.04 | テレビ | トラックバック(0) | コメント(0) |

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